既存を否定するための書き換えではなく、選択肢を増やす、拡張としての行為に徹していたい。学業になるべく差し障りがなくたっぷりと稼げるモノをと、将来に悩むのではなく消去法でしか選べなかったとか、否定される他なかったとか、そのような絶望をわたしと同じくわたし以外の他者も感じるのだろうというところがわたしの驕りだ。まとめる役割だからといって、シャン、としていなければならない以外の場合を示し続けてみたい。そこから波紋なのか亀裂なのか、何が起こるかわからない未知の間(ま)にワクワクする程度の好奇心を失いたくない。脳味噌がやかましいですね。なにげないお客様や他者の気遣いに緩みそうな程度にはたぶん余裕がないくせに、声かけをするのは偽善だ。罪の意識で身動きがとれないのは、わたしにはありがたい。正義によって他害するより、ずっとよい。わたしはわたしにとっての当事者になかなかなれませんね。いつまでも観察対象、モルモットと変わらない扱いを心地よいとしてしまう。それはそれでよいのかな。いまこの瞬間を、いまこの瞬間のわたしの想像がおよばないいつかのわたしはどんなふうに振り返るのでしょうね。