2020.01.10(sun)

教える側になるのはずいぶん長いこと苦手だなんなら嫌だやりたくないとなるべく避けたいことで、それは自信のなさはもちろん、思考を歪めてしまったらどうしよう、歪めるのが大袈裟ならばいらぬ先入観を植えつけてしまわないかと勘違いをしていた。そんなにわたしの言葉には影響がないのだと心地よい諦めと、植わさったとしても意外と人間はしっかり変化するもんだという期待と、それからわたしが成長する機会にもなるのだと気付けて、やっぱりそれが一番おおきいかな。他者と会話や対話をすることで自身の劣りを発見して、また新たな開拓を始めて、わからなさに向き合って(わからないことに向き合うのはとても楽しいのでこれはよいこと)、そうしてすこしずつ世界が広がっていく。広がっているような感覚は気持ちがよい。ただ最近は好奇心のままにあれもこれもと欲張ると「胃もたれ」にも見舞われるのだから、これは一度脇に置いておこうだとか、これはじっくり眺めるに値するというか大きな意味があるというか、整理整頓をして、このファイルは今はあんまり重要じゃない。今はこれを見続けていると精神がしんどいぞ。そんな気配を感じたら、閉じる。閉じて、一旦戻して、ずうっとあれもこれも広げっぱなしにしない。実際の机上も脳内も、これでやるのがよさそうだから、とりあえずこれでやってみましょう。