2020.05.28(thu)

わたしから見えている限りは、その柔軟さは賢さからきているのですね、ということがたまにある。たまにあるときはしかし、たいていわたしがその柔軟さに甘えてしまったときだ。人間はやはり当事者でないモノを想像する力にとぼしい、といえば主語がおおきいだろうか。うっかりパートナーのお悩みを持ち出した先は異性愛者の世界(そのような価値観にもとづいているのだろうなという程度の意味の世界)のお作法が普通、あまねくとおっており、わたしはそのとき勝手に落胆したのだった。ああ世界が違うと、しかしそれは同じ世界だというわたしの勘違いがそもそもであるのだから、誰も悪くはないはずだ。よいですね、よい傾向ですね、ウォーミングアップとしてのこのような屁理屈を述べる作業があまり苦を感じず行えるのは平時の証拠ですから。わたしの、あらゆる調子が、平時の証拠。自由を得るその対価はわたしが思っているより重いのだぞと、そのような意味でも今回は収穫がありましたの。不幸を額面通りに受け取らないこと。調子のよいときに、比較的よいときに、すばやく思い込ませるのです。わたしの脳味噌をハックする。生きづらさにぺろっとやられる我々は、人生をゲーム化するしかない。この考えがようやくつかめてきましたね。あとは落として、わたしのモノにすれば勝ちだ。わたしはわたしにとっての唯一無二の勝利者でありたい、あらねばな気がするのです。