世界中にわたししか存在しないのであれば、わたしがこれでよいと納得すれば悩みは、すぐに消え去りはしなくても薄まって、すこしずつ薄まって行ってだんだんと消えていくだろうなと希望を持てるけれど、この世界にはわたししかいないことはなくて、いや、よりよく、心地よく、そのような世界にしたいからわたし以外が生まれるのかもしれない。欲を出せなければよかったのかな。世界中にわたししか存在しないとはいえ、このわたしも様々で、提供側として提供される側として、労働以外のこの時のわたし、労働以外のこの人間だからこそのわたしと様々で、もしかすると全部を綺麗に、齟齬なくひとつのわたしに収束させるのがよくないのかな。精神の治安に、よくないことを減らしたいとよくばりつつありますね。