2018.7.2(mon)

久々に、盛大にこけた。それもUBとの段差で、ではなく浴槽の中で。下を向いたり上向きになったり、そうしているうちに視界に光が明滅するようになって、まあ数すくない経験からだとストレス溜まってんなあ。が、見えはしているが光が邪魔、どころか、ゆっくりと、薄暗いのから真っ暗な視界になる過程でヤベェなぁと思いつつ「まるでプラネタリウムだ!」と感激して、掴めそうな距離に星があるならばと手を伸ばしたらこけた。シャワーは、わりと重労働なので、いやそれにしても上がったあとの吐き気がひどい。もしや糖分か?と思って冷蔵庫を開けたらスポーツドリンク的なのがなく、オレンジジュースを飲んでいたらヤヤマシ。ここ数日、また、「なにを食べたらいいのかわからない」状態にスーパーをぐるぐるしていたらなって、そういう時は陳列されているあらゆるものが食欲の圧をかけてきている気がする。そうして「食べるものがわからない」から「食べたくない」へと進化するのだが、環境の変化に弱いのと直近の入院中の扱われ具合がいくらなんでもひどすぎたのとで、オーナーのご飯をやや多めに作って一緒に食べるとか、「今日は飯いらねー残りあるし」なときに食べやすそうなものや「どれが太らなくて栄養価あります?」と、誰かと共にする食事は話が進みやすかったり雑談に花が咲いてトークを広げる練習になったりもして、二倍おトク。

 

そういえば先日「重さに見合うだけの切手、何枚になってもいいのでください」が↓の結果。

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気になったことは解決するまでトコトン!派ゆえ、ただそれが発達障害(とくに自閉傾向の強いものに多く見られるらしい)由来でもあるみたいで、以前ならばどこかに座って調べ出していたのが、ポストへ向かいながらSiriに検索させて、ちゃんと「ながら行動」することに成功。レッテルが増えるのは嬉しくないが、つらさや生きにくさの何割かは脳味噌のバグですって言われたら、そりゃ周りと比べてもどうしようもないし、かといってそこで止まりたくないので社会へ擬態できる工夫や苦手なことは練習や、その他諸々でなんとかなりつつある。

保健師さんは「体調でも心の不調でも、簡単な家事なら一時的なヘルパーさんの手配もできるよ」と仰ったが、自分で自分の世話ができなくなったら潮時だし、そこまで頼ってまで生きる価値があるのか???となっている。一方で、価値がなくても「生きているだけで丸儲け」な祖母の言葉も過ぎる。