2019.03.18(mon)

何を以て親離れといえるだろう。今夏、三十路になるわたしは、いったい、いつまで、母親に固執するのだろう。見る夢は、決まっている。いくつかのうちの、どれか。あるいは、オムニバス。夢見が悪かったと、寝起き即なのかそれによって起きたのか、呼吸がむつかしく感じられて苦しくてそんなはずはないのに死を、強く意識する。意識せざるを得ない。これしきで死ぬわけ、ありはしない。そもそも死をのぞんだ、もしかしたら現在進行形でも、そのような者が死をおそれる。所詮は、ヒト。数多ある動物の、種のひとつ。熱くて痛い夢。冷たいのか寒いのか痛いのか、判然としない夢。ひとりぼっちになる夢。わたしの、この、サービスを提供している手が、楽しさや幸せな時間を提供しているはずの手が他者の命を絶つ夢。かなしい気持ちだけが共通点。フィクションに接触しすぎているからだと一笑に付せていたのは、もう、ずいぶんと昔のような気がする。溌剌とした気質ではなかったけれど、それでも、いっそう落ち込みやすくなったのは世界を奪われたから。わたしの、世界のすべて。踊ること。舞台の上で現実からも重力からも解放される場所、場所ですらないかもしれない。これ以上の至福、快感は存在しないとさえ思える。世界のすべては労働と、サービススタッフの恩師に変わった。過去。かつて、そうだったこと。いまは?労働?業界ほどでなくてもいい。なにかひとつ、ひとつにも満たなくてもいい。わたしがいた、という証ではない。誰かはわからないけれども、かつて存在した何かによって変わった。過去。わたしは過去になりたい。個であることは、時々、息が詰まる。