2019.07.12(fri)

SF。すこしふしぎ。を、この身で感じるのは新鮮なようで懐かしいようでいて、すこしふしぎ。公開(?)されたのでね。された、って意味がふたつある気がしてたまにむつかしいいの渦に陥る。そういえば。

あきらかな音楽以外も、たとえば雨や笹の葉が擦れ合う音、なにかへ身を委ねてこの身を動かして、それなりに洋舞をやったわたしが"自然"に表現する方法は静よりも動。静、いかにも撮影というよりは「あの建物がこうでああで……」と、目についたなかで共有したいモノをお伝えしようと振り返ったらカメラを構えていはった。それくらい自然で、むしろ遠慮なく話しかけたりいつものお散歩の感覚で動き回ったり、「過ぎていないか」があとから気になったほど。このわたしのどこを正面とするか、ではなく、この空間のどこにこのわたしを落としてそれがいかにある表現におけるベストとなるか、みたいな。表現の諸々を言葉にするのは無謀でもある。言葉にできないから表現するのであれば、なおさら。それでも言葉を自在に扱えるのは人間のとっけんのはずで、ならば言葉はやはり大切に育ててゆきたいモノですね。