2019.08.11(?)

一日でも一時間でも早く「人材」にしたいとき、なぜこれはこうなのかなんて質問はまず覚えてからだ、みたいな気持ちがなんとなく、ほんのすこし、わかったつもりになってきてわたしも教えることに慣れてきたのかもしれない。教える側が必ずしも、なにがなんでも、ゼロからヒャク、ゼロよりずっと前のこともヒャクから先のことも知らなくてもいい、エキスパートでなくていい、教えつつ成長するのもアリなんだろうな。たぶん、アリだと思えてからは教えるのすごい苦手、から、苦手なんだよなあへ、やわらいだ気がする。なぜなのか。多感な、正しく中二病の時期に触れたのもあってハイデガーはいつだって惹かれる。なぜ、どうして、どのように…………ずうっと稼働、シフト的な意味だけではなく稼働しているからしんどいのにね。なにもかもをメンヘラとまとめてはいけないように、なにもかもを発達障害だといってはいけない以前にいいたくない。ひとつも「とっかかり」を持たずにすすむよりはマシなだけ。なぜ、言葉に置き換えるのが苦手なのか。この時期だから身体的な面、たとえば脱水の兆しではないか。もともとの困難をそれが加速させていないか。なぜ、なぜ、問い続けても狂わないでいて、そうしたらなんだかわたしまで救われる気がするからがんばりたい、がんばろうね。