選択肢を少なくする?せばめる?ことが潔癖なら、マナー講師なぞがもてはやされる"世界"は正しく潔癖なのでしょうね。キミのそういうのは好みではありませんがかといって淘汰する気もありませぬ世界がせばまるから、そもそも淘汰するしないをやってよいのは神さまなのです。あれだ、教室で、朝礼だか帰りの会だか、「この子のおうちのお仕事も認められてよいのですから。いじめはダメですよ。」って、あの先生はなにを思ってそんなことを言ったのでしょうね。根に持ちすぎですよ、わたし。田舎の、ちんまい地域でお水のママが目立つのも珍しいのも仕方のないこと。もう、あまり、憤る元気がなくなってきた。そこへ割り振る元気があるならば、愛を伝えたい。愛、が、大仰なら、すき。すきなものをすきな人をすきだって言える伝えられるそれってすごくたいせつなのに、どうして恥ずかしいのかな。恥ずかしいと感じるのが悪いともなんとも思わない。おせっかいながら、ではキミのぶんまでわたしが美味しいってすきだってお伝えしちゃう。存在が良いとか悪いとか、そんなの神さまのお仕事です。雨の日はだから嫌い、過去の死に人のことがぽこぽこ、絶対に消えない泡だ。ある、よりもずっと頼りないのに、ある。あってしまう。