そうではない場合が多い、そうではないことばかりだ、そのようなお気持ちになって、なるのが続いて、でもやはり"投資"には見返りがあること、見返りはとても喜ばしいことを知っているのは強みかもしれぬ。見返りはずいぶん余計な色をつけられているようにも感じますがまったく無償ではない、まったく無償ってむしろ怖くないかしら。人間や他者を信じているようで信じていない証拠かもしれませんね。自信がない、は、疑う目を忘れない、と、そのように言い換えようと思えば言い換えられるかもしれない。わたくしは正直であるなんて、あるいは、わたくしの正義に殴られるのはわたくしだけでよいのです。みなと同じでありたくて、同じでしかないのに、まるで神様のように俯瞰することがある。なんておこがましい。神様って、でも、意地悪ね。マイナス方向にもニブツを与えられるのですから。それも気の持ちよう、視点の如何次第かしら。