2019.12.02(mon)

ある種のメンヘラのイメージから離れている面がおそらくあって、そこのみを、そこしか知らないみなさまにとっては、そりゃあ仮病なのでしょう。調子が悪ければ精神面も実際にもこもりがち。ふいに、なにかわたしにもあきらかななにかがないのに泣ける。チューイングも、もっと気持ちの悪い摂食障害の症状もあるときもありますよ、でもだってだからってずうっと暗くしていられないもの。こんなにも残されてしまったらもう、ね。この年齢で、を、繰り返して、死ぬためにやってきたからすこしめまいはする。「ほんとうに」この先も人生が続くのね。あんまり遠くを見つめてもわたしにはよろしくない。遠くを見られるのが得意な方にお手伝いをお願いして、いまこの足元は丈夫かしら。飛んでも跳ねてもだいじょぶ?商品の耐久テストは得意よ、堪え忍ぶのもよ。我慢づよい。一度こうだって曲げない強さもあるのです、生活のレベルを落とす必要があれば最低餓死目前まではやれますよ。最後は、ちょっと、ダメね。履歴書を書くときを思い出すのです。マイナスの色をプラスの色へ、くるん、と。他者と対面しているときもほとんどおなじ。ここはあなたね、くるん。いやそこは、こっちだ。くるん。天秤というよりはオセロかしら?陣地取り?なるべくどちらかの色が多くならないように、それぞれの得意を、うまく半々に近付けて。それはぜんぜん人格の否定をやりあうことじゃないのって宣言したうえでお話を、宣言しなくてもお話が進む。待てよそれは否定をしているに近い言葉じゃないか、タンマをかけるのはいつでもよいです。お話を重ねて重ねて、次第にお話の回数があまり多くない。別な方向の、あるいは以前より広いところへ、ともに、考えるためにわたしは誰かとありたい。マイナスの感情をぶつけます!宣言をしない限りひとりで浸りたいワガママなのですこだわりなのです。わたしをあまり残さずにいたい、わたしはわたしでありたいけれどやはりありたくないのよ。