ずいぶんと慣用な価値観、視点などが増えても、夜職の人間だったといえばすこし距離を置かれる。ような気がする。気がするだけだとよい。未だに「そのような」所作や振る舞いが残っているなと自覚もあって、それは時々撮る動画のなかのわたしが教えてくれる。もう十年はゆうに経って、それでも抜けないのはがんばって打ち込んだ証拠なんていうのは強がりかもしれませんね。あるいは、並にこだわりすぎているのか。わたしにとって並はよいモノに感ぜられるだけで、並が絶対によいとは限らない。限らないのかな。限らないといいなと、願っているだけては。「かな」はどうしたってついてまわる。もちろん希望を抱きたくて、まだ余白があるだとかそのような意味で発する場合もあるが、今日は、ダメですね。雨のせいに、お天気のせいにしませう。などと言っていては梅雨のあいだもうずうっとダメじゃないか。いつになれば大丈夫になれるんだ、わたしは。やはり口だけなのでしょうか。毎日毎日繰り返すたぐいの夢もなかなかに疲れるが、毎日毎日、実際にあった過去なのか、実母の外面を守るためのストーリーなのか、判然としない記憶のような、それともいつか見た濃ゆい悪夢なのか。寝ても覚めてもつらいとは、どこへ逃げればよいのですか。