間違っているだとか奇天烈寄りのおかしさだとかではないが、何か引っかかるのは、おそらくそれが目的だからかもしれない。集団をとりまとめる役に就きたいのは、なぜ。並みの行為では満たされないほどの承認欲求を抱えているのか。たんにカッコイイから、というだけで夢を語るのが子供なら、逐一目的と手段をわけてしまうのは純粋ではないですね。長(おさ)に成るべく試行錯誤されている他者を眺めていて、そういえば狭いわたしの世界ではそうするのがよさそうだから代表となられて、もし今後よりよい手段があれば、というところでおそらく最近のわたしから滲み出ている迷いは目的と手段がテレコになったのがおおきそうだと気付く。他者に喜びや幸福や、ポジティブな感情に浸かっていただく手段として踊りが使えないのならばサービス提供者として、というのは恵まれた縁に拠るところが大きい。ではなぜそこまで他者にこだわるのか。そうすることでわたしにもポジティブな感情を与えられるから。つまり手前のためなのか、そのような光景を眺めるのがすきなのか、すべてに意味をつけることは不可能だと、どこかで割りきらねばならぬが、問い続けることをやめてもいけない気がする。昔なにかの言語にまつわる本で見た、文法という発明によって人間は言葉を扱うのは困難だと洗脳されたと。ですからこれはあくまでも準備運動なのだと言い聞かせておかねば深淵に呑み込まれるのです。