ねばりづよくなることはまだよいことに感じられないけれど、お勉強を、たとえば計算でつまずいたとこから脱出できない。よし質問しよう、というのが以前なら、最近はここへたどり着くまでの道を遡って、それでも解決しないし気分の具合もイマイチだし、じゃあちょっと国語に変えようか、先日あの文章が読めなくて手続きに時間がかかったよなと、点と点をどう繋げばよいかを考える時間が増えた。脳味噌のあちらとそちらが完全に独立してしまわないで、必要なときに、あるいは必要でないかもしれないときも、きちんと協力するにはどうしようか。世界地図のわたしの脳味噌バージョンとでもいえそうなそれを埋めてみたい。きわめて個人的な緊縮財政、わたしの家計における緊縮でますます物欲は下がっていよいよ好奇心も減りそうで、それがすこしあやうい。なんとなく、あやうさを覚える。説明しきれないことをとりこぼしているような、言葉へ翻訳できないからと、置き去りにはしたくない。なるべくとりこぼす量を減らして、そのためにわたしが失われるならかまわないと言ってしまえるうちは自己犠牲スレスレの奉仕精神ですね。