2020.07.03(fri)

以前なら臥せりつつ焦りつつというか、ジタバタともがいていたのですが、もちろん未だそのように焦りが全開になることもありますが、ゆったりと、脳味噌巡らせモード、ほぼほぼヒャクパーセント巡らせモードへ切り替えて、そうして、やはり、労働のことへ辿り着く。おそれ多くも「ついていこうと思った」的なお言葉をいただいたことがあり、でもそのときわたしがその子へ投げたはずの言葉は、わたしにはほとんど当たり前のことだったから、勝手ながら、その子の今までに心を多少痛めたりしたような、記憶がある。病気になんて、誰だってなろうと意気込んで、病気になるぞ!ってなるもんじゃあない。たしか、休暇申請がたて続いたときだった。もしかすると家庭の事情を病気といっていたかもしれないが、そこは深掘りしてはいけない。踏み込んでよい場所ではないだろう。やむを得ず、なんてことは、かなりよくあることで、そこを逐一責める姿勢は、あまりにもわたしの理想からほど遠い。わたしだってまだ全然未熟で、だからこそ傷つける行為となったこともあるでしょうが、ならば、せめて、傷つけたのだなと自覚を抱くとか、傷つけることも、わたしのこの手はポジティブな感情を沸き起こすためのサービス提供だけではなく、他害も可能な手なのだと、せめて、せめてわかっておきたい。厳しいのだろうか、いや、これらを強要さえしなければ、手前へのみ切先を向けていればよいはずだが、手前へのみなんて、はたして可能なんでしょうかね。我々は、人間は、関わりを断つと、孤独でもおそらくは死んでしまうのにね。