2020.07.07(tue)

定型発達なみなさまと、そうではないわたしと、などという分類に近い好ましくなさを感じつつも、やはり頭脳労働と肉体労働と、それらは男女にはどうしても違いがあるように、なんらかの違いがあるのかもしれない。免許がとれないからとか、病院へ駆けつけなくちゃだとか、駆けつけてもらわなくちゃだとか、助手席にお世話になった回数は多いはずだといっても、それはわたしのちいさな世界での多さであり、ああ、よいのです。わたしの脳内ではこれらは繋がっているのですから。繋がっているはずですから。おごってしまうことには、立ち止まることと同じくらいの恐怖があるかもしれませんね。わたしの世界は、なにか、こう、より大きな世界か世界ではない何かか、所詮それらのうちのひとつ、一部でしかない。あるいは、きわめてローカルな……。社会の歯車なんて表現はネガティブな意味で使われているように感じるが、わたしには社会の歯車未満になる恐怖があり、歯車であることはその恐怖から脱している証のような気がして、たいそうよろこばしいのです。一部にしか過ぎない自覚。未熟だという、まだまだ全然成長が足りないという自覚。わたしの立ち位置を、教えてくれているような気がするそれらが心地よい。もうわたしにはなんの余地もないことも恐怖ですね。