2020.09.27(sun)

パートナーが異性だったときは「やれることはやろう」の精神をなるべく持って、頼らないでやれることは手前が背負うべきだと感じ続けていたし、背負ってもらったらそれ相当の何かをわたしは与えたいと願ったし、なるべく実行していた。はず。パートナーが同性のときは身近な他者曰く、より男性的な視点で、異性同士が法的に守られるのと同程度の幸福を与えられるのがわたしであればよいと願っていたし、でもそれらは理想であって、現実のわたしは身も心も弱く、頼らざるを得ないのがとても苦しい。歯痒い、どころではなく、苦しいのです。支えたい気持ちを、まるで裏切るような、この弱さが憎らしい。年齢のせいに、しましょうか。これからを考えてしまう年齢のせいに。ラディゲに憧れても二十歳で死ねず、ここまで来たのならば、これからを考えてしまうのです。それによって落ち込んでは、なんだか、矛盾しているようですから、適切な距離を置いてめぐらせられる時にだけ、とはいえ、なかなかむつかしいですね。労働の世界でのわたしがやりたいこと、非労働の世界でのわたしが叶えたいこと。欲が多いのかもしれませんね。