2020.10.14(wed)

まとまった吐き出しの時間も睡眠の時間も持てない最近で、睡眠は、まあ、心当たりのない倦怠感か夢見の悪さからの諸々か、咳き込みと咳由来(由来?)の吐き気かを避けたければ数時間ずつこまめに眠ればよくて、吐き出せる時間をきちんととれないのがかなりしんどい。脳味噌がはちきれそうなのに、あふれそうどころか破裂しそうなのに、こうして吐き出す場所もつくっているのになどと、もどかしさと、うまく立ち回れない手前がなによりも腹立たしい。そればかりではしかしなにもない、進むのがよいならばなにも進展しない。褒められそうなところをあげてみようか。以前よりもイヤホンに頼らずとも聴覚からの「ノイズ」を遮断できるようになってきた気がする。脳味噌に引きこもるのがうまくなってきた、ともいえる。処方された薬のせいでもなく曖昧になるためのあるいは他者たちのための、さまざまな意味での他者たちのための飲酒でもなく、己との対話でもないような、つらつらと巡らせて、気まぐれにコメントをして、ふと漂ってきた花の香りで現実へ連れ戻されたりもする。さきほど出会ったあれはなんだろう。下向きに咲く百合とも、おおぶりの胡瓜の花ともいえそうなあれ。もうすこし寒くなっていただきたいですね。まだわたしには暑い時期だわ。身近な他者のひとりがパートナーをそばに置いて以降よりやわらかくなったと、それは確かに自覚にもあるのです。わたしは、これこれのためにというときほど、たとえば守るモノのためなら本社へ噛みつくのも厭わない、いやもともと「上」にはえらそうにできる質ではある。おこがましいかもしれぬが、なにかよからぬ影響を与えるのではないかと、あえて区別するならば下へ対しては臆病さが増す。最近は退行の傾向はいかがでしょうとの問いを投げた瞬間の表情はすこしひっかかるものだが、それでもわたしはわたしが信頼すると決めた他者を信頼するのです。退行ほどではなく、気紛れにはおさまらなさそうな、時々、わたしがどこにいるのかわからぬと、そのようにとらえてしまうあなたもまた繊細で、生きづらそうですね。それはさすがに口にしなかったが、生きづらさを抱える人間が、どうか、痛めつけられる世界にはならないでほしい。この人間にやはりわたしは含まれないのですが、でも他者の幸せそうなうれしそうなそのさまがわたしが諦めないでいられる頼りなのよ。かといって落ち込むなとは言わない。並があるのって、だってなんだかとても人間らしいとは思いませんか。