2020.11.20(fri)

過去の一部をピックアップして、たとえばもうにぎやかな、バラエティ番組のようなテンションの高いコンテンツは受けつけないだろうというのは思い込みだったのだと、よろこばしい反面、ではなぜ未だにどうしようもない気持ちに見舞われるのか。やるせない?なさけない?数年前の「解放」ほぼ直後の職場の、寮のシャワーを浴びているとなぜだか涙が止まらず、悲しいわけでもないのに、ああもう数時間で出勤なのだからと目元を冷やしたそのときの気持ちに似ている気もする。あの労働はあきらかに無理があったので、それと比べて今現在は……するとやはりまだまだ全然精神が弱いのだろうか。かといって強くなりたいのかと聞かれれば、まったく心が揺れないのも困るのですよね。なにも楽しめなさそうではないか。映画を見ても本を読んでも音楽を聞いても、散歩をしていても何にも惹かれないなんてさみしすぎる。これもた思い込みなのだろうか。ここ最近にしては脳味噌をたくさん働かせるモノが続いたから、そうですね、それによる疲労としておきましょう。騙してなんぼ、自分なんて騙していればよいのです。そこまでして生きたいわけではないのにね。生きたいわけではないという錯覚なのかな。この世界にわたしは必要ではないことはない、そのようなつよい錯覚を与えてくれるから労働はやはりよいですね。