2020.11.24(tue)

忘れられるのは人間の特権だと何かの本で読んだことがある、あるいは名言めいたツイートで見かけたのかもしれない。なにもかもを覚えていてほしいだとか発言に責任を持てだとか、言わないし言えないのだが(わたしも同じ行為をした/するであろうから)、忘れていることがわからない状態というのはなんともさみしい。言ったかどうかわからないのであれば、忘れようもなく、ああまた細かなことにこだわったのだ、勝手にその発言によって我がを奮い立たせてしまったのだ、またはわたしの記憶にしかない、わたしの嘘だとしてしまうのがまだマシなように感じられる。誰も責めずにいたいのならば質す相手はわたしだけなのだ、たぶん。もういっそ何にもわからない白痴になりたい時がある。もしかすると乖離のきっかけのひとつかもしれませんね、そもそも頭のおかしい人間が「健全な人々」に何かを期待するのが間違いなのだ。ああ、ダメですね。こうなると不信に陥るので、ダメですね。人間に限らずあらゆるわたし以外の存在が疑わしくなる。そのように疑り深いわたしがいやになる。不安に抗う薬を飲んでこれとは救いがないではないか。