2020.08.16(mon)

虚弱アピールをするつもりもしたい気持ちもないけれど、やっぱりどうしても肉体的な余裕はすくなめだから、バイト先を絶やさずいるのはだいじだなあと、ありがたさを噛みしめる今日この頃。改めて噛みしめるなんてことはしょっちゅうで、でもあんまりありがてぇありがてぇするのもなんか違うし、ねんねころんしながらでも出来ること、テキストを読み込みのは難しくてもせめて眺めておこう、他の人よりじっくり眺めておくんだとか、自分が得意とするモノを探してみる。あ、これは他の人よりうまくやれそうだぞ得意なんじゃないかと、予感だけでもいくらか精神が元気になれる。わたしは別にまったく不要な存在ではないと、確認する機会をこまめに与えてくれるから労働はよいのです。バイト先というのは副業なのですが(実力がないのに正社員としてしがみついたり勉強させてくれーなどと頼る場所があるから)、副業という言葉にはずいぶん胡散臭い色がついてしまった気がする。言葉は生きているのだから、仕方ないですね。使う側が柔軟になっていかねば。なまじ言葉を使ったり考えたり、考えられるからこそ考えすぎて悩んで病んでしまうのが人間よなあと、黄昏るのは悪いことではない。悲観というか、ネガティブというか、そのような気分に浸ったからこその慰めもある。が、そこで終わるのは趣味じゃないのです。そういうのが人間よなあ、ではどのような工夫があれば進めるのかな。医者から診断名を与えられた時の悔しさとか悲しさとかはやっぱり抜けないけれど、でもその診断名を手がかりに得られた工夫もある。そんなふうにやっていきたい。死にたいと思わなくなったことは、はたして喜ばしい変化なのかどうかわからない。わからなくても、このわたしの心境はどうやら変わったみたいだから、変わりっぷりに適した工夫を見つけて実践していきたい。こういうのを前向きな感情と呼ぶのですか?