ここ数日、きっとわたしはこの方になにも与えられない、与えられるばかりの関係になるのだろうなと、勝手にひどい未来を想像して、勝手にそして一方的に距離を置いた人間がくれた詩集に助けられている。せめて数多ある詩集からなぜこれを選んだのかくらい聞けばよかった。自身の無力さなんて落ち着いてすこし離れて眺めてみれば当たり前なのに、いちいち為すすべがないのだと打ち拉がれる弱さが嫌いだ。弱さなのだろうか。悲観が過ぎるだけでは。どうすればもっと世界に期待できるのだろう。所詮は世界の一部でしかないという視点を失いがちなのを自閉的というとして、やはりわたしは病的なまでに自閉の傾向が強いのかもしれない。かもしれない。きっとそうだろう。何もかもは予想するしかなくて、起こるときを起こっているさまを受け入れるしかないのに。すぐ恐れをなして立ち止まるところも好きになれない。無理に自分を好む必要はないのでしょうが、手前に優しくすることが他者や身近な人間に寛容である一歩ともいえそうで、だからわたしはわたしをもうすこし好ましく思ってあげたいのです。

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追記

峯澤典子の『あのとき冬の子どもたち』がその詩集である。なんとなく書き添えておきたくなった。