2021.11.05(fri)

布団にくるまったまま目が覚めて、ああやはりアラームよりずっと先に起きたなあと、ぼんやりした脳味噌をたたき起こす意味も込めて、詮無い問いを投げかける「あたまのたいそう」はここ最近、なぜ数学に熱を入れるのかという問いで持ち切りだ。わたしから、わたしへの、誰のためでもない問い。答え。答えでなくてもよいけれど。お財布が充実しているに越したことはないが、それよりも精神が充実しているかどうかが肝要でしょうという考えはかなり昔からあって、だからこそ些細な不調に振り回されているのかもしれない。過剰反応と見立てて、であれば精神以外に目を向ける仕組みを持てないかしらと、好奇心を満たしたい満たしたくてたまらない衝動には、そういう要素もありそうだ。数学は、好奇心を非常にかつ手軽に満たしてくれる。いま、ここ、これだけを、目前のこれだけに集中していなければならぬという制約に感じられるそれは、もしかすると至上の自由かもしれない。