2021.11.17(wed)

うっかり二十歳を迎えてしまったじゃないかとめでたい気分にもなれなかったし毎年の誕生日以上に祝ってくれる人間もどうせいないよと拗ねていた記憶もあるし、けれどまあ区切りに何かと、セルフ成人祝いにorientの時計を買ったことがぶわあっと思い出されてきて、なぜかちょっとほほえましい気持ちになる。19歳らしい選択だなっていうのとか、あのあたりの時期はこのセレクトショップマーガレットハウエル以外は認めないと、身に着けるモノへの異常なこだわりを発揮していた。着飾りたい年頃だったんだろうなとか、そういうわかりやすいモノに頼らないと不安だったのかなとか、ああちゃんと若かったなあと思い出すと我ながらほほえましい。今よりずうっと稼ぎがよかったのもあるけれど。ラディゲと同じく二十歳に死ぬぞという目標が叶わず、結局その次の節目の三十路も過ぎて、いかに早く死ぬかが第一の目標でなくなっていることにはわたしも驚いている。ふわっと、唐突に、駅からの帰り道においしい匂いがただよってくるくらいの気軽さで、死なねばならぬのになぜ生きているのだと、時々やっぱり衝動はある。でもずいぶんと砦から離れている。不死身ではなく、ちゃんと死ぬことができるのが最奥の砦で、ほかにもいくつか巡らせるているのかもしれない。もしそうだとしたら白黒どちらかのゼロヒャク思考が多少はやわらいでいるのかな。たとえば性別に関してはどちらでもあるしどちらでもないしみたいな、そういう曖昧さを持ち続けていて、そのグラデーションを他のものごとにも応用できるようになりたいな。寛容さがほしい、でも狡猾さもほしい。金銭の授受ですぐさま手に入らぬモノであれば、いろいろほしいものがある。性別に関してのぼんやりとした自覚はそのような塩梅で、けれど肉体に関してはどうしようもない違いがあるよねとは感じ続けている。だって、それぞれの肉体ならではの問題を無視して生きていけないもの。世界は広いからどちらかの肉体ではない場合もあるらしくて、このあたりももうすこしちゃんと学びたい。学としてのフェミニズムなど。趣味のお勉強はゴールがなくてそこがほんとうにたのしい。