2021.12.03(fri)

ネットはなんでも調べられるから便利なぶん脱線しやすいなあと、漢字のお勉強の疑問を解消しようとしただけがすっかり集中力が切れてしまった。そもそも帰ってきてからじんわりと頭が痛くて、雨なのかしらそういえば今日の昼間も暑かったと思っていたら月経が来て、そういえば2、3日前から些細なことでしょげてしまっていたあれらは抑うつ傾向じゃなかったのかもしれない。そういえばああかも、そういえばこうかも、必ず原因を特定したいわけでもしなければならないわけでもないが、どうしてこうなっているかまったく未知の状態に置かれるよりはずっと安心できる。安心のための材料が入っている引き出しが増えていくんだな。生きていると。月経の前触れのような心身の変化が以前とは変わったり、ちょっとした出来物にも外用薬が必要になったり、サプリメントを欠かさず飲んでおこうとしたり、どんどんわたしの時間は老いに向けて進むのに、死んだ人間の時間はちっとも更新されない。もう二度と同じ時間を過ごせない。きらびやかな、おめかしした、都合のよい、うつくしい物語のような思い出になるのがつらい。最近読んだお話のなかにそういう気持ちにしっくりくる言葉があって、お話のこういうところが不思議ね。積極的に探していたわけじゃないのに、ほしかった言葉が、ふいにあらわれる。最近は少しずつ本を読める余裕が増えてきた。時間やお金ではなく、メンタルの余裕。ようやく回復といえる段階になってきているのかな。などと喜んでいるわけではなく、またきっとマシな時期、こむつかしい言葉でいうと寛解のターンなのでしょう。よくなったり落ちたり、ああでも働けない状態までは落ちたくないな。あの苦痛は味わいたくない。深い切り傷を負うのがずっといい。外傷は治ったといえるゴールがあるから。先の見えなさを楽しめるのは趣味のお勉強だけなのかもしれない。たぶんわたしは不死身を耐えられないんじゃないかな。