2022.04.12(tue)

じょうずに休めるようになりたい、と、じょうずになりたいことのうちに休息も並んでいるのはもちろんじょうずにやれることが少ないわたしだから、せめて並に近付けるように、じょうずにやれることを増やしたい、という気持ち以外もある。未来永劫、このイレギュラーな勤め方(かた)をわたしだけのスタイルとして独り占めしたい、わけではないから。ごく一部の人間以外はわたしの内情や、背景といっても理解しやすく受け入れやすく簡単にコンパクトにまとめたものだけれど、ともかく細かな事情を知る人間はここの全員ではない。ここ、は、あれを主な手段としてあのような目標という名の利益を得ることを共通のゴールとしている、まあひらたくいうところのメインの勤め先ですね。この世にわたしと同じ病名をつけられる人間はもちろん他にもいて、というか他にいるからこれこれという病名ですと診断がくだされ診断書をいただけるのだけれど。分類したり名付けたり、ラベリングやカテゴライズといってもいいけれどたんにわたしが片仮名の羅列されているさまを好まないから分類や名付けあるいは命名とあらわしますが、それは集団で生きているからやむを得ない作業なんだ。集団で生きるのもやむを得ないことだ、きっと。どのようにやむを得ないのかうまく言葉でいえないが、言葉にならないからといって不在ではないのでしょう。おそらくは。きっと。多分。おそらく。これはあくまで推測なんです正しいかどうかわたしが理解の及ぶ範囲では判断を下しかねますなんて予防線を張り巡らせて、なんだかとても臆病だ。恐怖をなにに対して感じているのか不安を抱いているものが不安を抱かせるものがなにであるか明らかにしないからおびえているのかもしれませんね。今朝はなんだか動けそうな予感があって、たまには聞いてあげようと身体の予感に従って、ほとんどフルコースで柔軟をやれた。明け方でもずいぶん気温が上がってきて、十度を超えるようになったからかもしれない。開脚をして、股関節も肩甲骨も、身体のフシというフシをほぐして、目を閉じて身体のほぐれ具合に集中していると脳味噌がしぶしぶといった気配はあるものの、おとなしくなってくれるから心地がよい。わざわざ音楽を流さなくてもわたしは環境音を音楽と捉えることもできる。しっかりめの柔軟といっても痕が押しつぶされるような、たとえばうつ伏せの姿勢をとるモノは省いたけれど、そういえば省いていたけれど、それでも少しずつ動けるようになっている。痛みも減っている。少しずつ、ちゃんと好転している。大丈夫だ。つめたい雨降りの日なんかはどうしても痛みが出るけれどきっとそれも「ああこういう日だなあ」って乗り切れるようになる、なるといいな。春と秋はアレルギー症状に見舞われ、夏は暑さでぐったり、冬はもしかしたら今冬はまだ冷えに痛みを引き出されるかもしれない。快適に過ごせる季節がなくなっちゃった。文明という名の機械に頼りまくって、なんとかやれるといいですね。安全かつオヒトリサマに最適な暖房機器をいまから探してみましょう。電気ストーブはいつかお布団を焦がしてしまいそうで危ないもの。

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「イレギュラーな勤め方(かた)をわたしだけのスタイルとして独り占めしたい、わけではないから」に続けたかった言葉がそういえばあったのだ。このような形態が当たり前とまではいかなくても、選択肢のひとつとして、希望すればまたは必要があればこのような選択もあるのだと提示できるよう残してみたいのです。働きたいと願っているのに働けないあの苦痛はわたしだけが感じる特異な痛みではないと思うので。これもまた、ここでのやりたいことのひとつ。欲張らず、かつ、欲深く、あれもこれもやってみたい。全部はもちろん果たせないから、せめて間違いが少ないよう選んでいきたいですね。