天気予報を見て、明日は湿り気が多そうだから涼しい格好にしておこうとかよしんば雨が降っても構わないようにタオルを多めに持っておこうとか、そういった具合で、ああ気温差が激しいからなあとか季節の変わり目だからなあとか、不調のもとを人間以外へ求めてみれば諦めやすい。諦める、というよりは、割り切りやすいといった感じだろうか。すくなくとも頭痛は服薬をすればしばらくは治まる。精神的な、抑鬱をうすめたような精神の澱みも労働モードである限りは直視しなくてよいし、労働モードを切ってからもいつも通りにしているのがよさそうな気がする。今回はなんとなくそういった気配がつよい。調子がすぐれないぞという感じに引っ張られないよう、全然至ってちっとも平時と変わりありませんよと過ごしていれば、あまり感傷は追ってこない気がする。以前よりは抑鬱などと呼ばれがちなこの心向きと、少々付き合いがうまくなってきたようにも思える。本が読めなくなるほどの不調ではないのだから読みかけのモノを進めてみたり、来月は病院のイベントが立て続くから今月がんばっておかないと……などとぼんやり数字を眺めて"下準備"をしてみたり、なんだちゃんと普通にやれている。普通、平凡、わたしの理想なのです。何事もない日々。まあ実際には刺激が不足するのかもしれないけれど。好奇心が満たされないなんて空腹よりも耐え難い。数字。事務作業で向き合うことの多い数字を数字としてではなく、事実をありのままに伝えてくれる、しかも忖度や遠慮もなく伝えてくれる相棒として見てみるとなんだか味気のなさがずいぶんとれる。この数字たちはでは何を伝えたいのだろうなどという、きちんとしたデータにする技術はわたしにはなくて、いや、技術があったとしてもそれはわたしの領域ではない。しかるべき人間に振るものだ。全部を自分で完結させるお仕事ではなく、むしろ協力プレイに長けていると有利な場面も多いのだから、うまく振る、というのも覚えていきたい。覚えて、やれることが増えれば自信がつくというよりは、好奇心が満たされるときの高揚に似た気持ちになれるから楽しいのです。