病院の予定がない一週間がなくなってしまったけれど、それはそれで些細な違和感にも気付けるようになったともとらえられるような気がする。もちろん比較的緊急性の低いわたしのあれやこれやで病院へ問い合わせたり予約を入れてもらったり、あるいは病院から変更の連絡を入れてもらうのは忍びない時勢が続いていて中途半端に持ち続けている、良心とかいうモノが痛んだりもするのだけれど、緊急手術ですなんて事態へ至るよりはマシなんだと思っている。最悪の何かよりはマシなのだという視点で見ていけば、見ていくから、なのだろうか。まあ死にはしないからねなんて気持ちが高まって欲深くやるぞって気分が低くなってしまう。でもじゃあ低くなったらダメなのか、悪いのかというとそれはそれで我を通し過ぎなくて済むんじゃないかなあと思ったりもする。橋渡しのような役目を担う機会が増えたせいもあるかもしれない。どちらにとってもマシであること、どちらにもメリットデメリットがほどよく、同程度になるようなところへ向かっていくこと。向かっていけますようにと振る舞ってみて、いやいやまだ最善の手じゃなかったなあとか。後悔するのは本気で向き合っているからなんだよって言葉が真実だとすれば、それはかつて、悔しくて泣いていた場面とほとんど同じなのかもしれない。夢中になれることを見つけられるのもまた才能だよなんていう人間もいる。でもわたしは、これしかなかっただけなんだよなあ。あのとき他の手段や世界を知っていたらどうなったんだろう。などと巡らせても以前ほど、落ち込みはしない。どうやら過去は変えられないということを少しずつ、じわじわと、芯から感じられているのかもしれない。些細なことで喜べるのってじつは幸福なんじゃないかしら。