地域と食と記憶

今月初め頃まで生まれも育ちも西日本、昔も今も食の台所、特徴的な個性豊かな食文化が盛んな大阪の民が関東へ来られていた。交通や運輸関連、さまざまに便利な時代になり、特出した地域性の価値は下落している実感がある。ありがたみがない、とも言えるか。

大阪まで車を転がさなくても"本場"に近いお好み焼きは食べられる。任意のECサイトを開けば東京に行かなくても東京土産が手に入る。

もちろん今までも物産展や期間限定の出店を介して地方の食に触れることは可能だった。が、ここまで頻繁に、日常に登場はしていなかった。「ゼンッコク」は当たり前。一種のステータスでさえある。

 

ただ、比較的わかりやすいところだと、チェーン展開をしているたこ焼き屋のたこ焼きと商店街の水分たっぷりのたこ焼きと、はたして同じだろうか。タコを使った粉もんではある、どちらも。両者の違いは見た目や味だけに留まらない。プルーストが著した『失われた時を求めて』にマドレーヌの挿話がある。主人公が紅茶に浸したマドレーヌを齧ったことで物語は始まるのだが、今は物語の導入として、ではなく、食と記憶に関して、この挿話をわたしは思い起こしている。

祖母と食べたハムカツは、うすっぺたくて、衣が8割以上を占めていた。ステーキとしても食べられる、歳暮のスターこと分厚いハムではなかったのだろう。ポテトサラダ等の具としての薄切りのハムを揚げたそれは10年以上振りに食べたとき、お世辞にも美味しいとは言えないどころか、安い油を使っているせいもあり、胃にこたえた。マドレーヌの挿話も、紅茶の香りがこのような塩梅だからマドレーヌの焼き加減がほにゃららだから主人公の記憶に残ったのではない、と思う。

西日本で育った人間にとって身近な肉は"かしわ"であり、それをツマミにするなら焼き鳥だ。豚肉を使った、"やきとん"ではなく。そして人間の、食体験の原始は家庭だ。おふくろの味。美味しいかどうか以上に重視されるのは、それが無意識だとしても"安心"ではないかと今現在、生き残っている個人経営の飲食店を眺めていると感じる。人の手がくわわったモノに勝るものはやはり、ない。

 

家政婦がもれなくロボットになった未来の、最上の娯楽、贅を尽くした食事は、もしかしたら生身の人間が調理したものかもしれない。